安寧山の御紹介 安寧山の御紹介

安寧山のご紹介

山梨県上野原に位置する当寺は、圏央道の開通により神奈川県はもとより、東京都・埼玉県から、 さらにアクセスが良い場所になりました。新設の 「八王子ジャンクション」から約10分、一般道に入ってから約5分の緑豊かな好立地条件です。 国道20号線本町交差点から100mほど山手に行くと、山門の両脇に「萬霊等」と「月見寺」と刻された二つの大きな石碑が見えてきます。都心部より、驚くほどの便利な場所に位置しながら、豊かな自然に囲まれマイナスイオンいっぱいの空気を体感できます。 保福寺は別名、月見寺と呼ばれ、中里介山の作品「大菩薩峠」の中で「甲州上野原の報(保)福寺、 これを月見寺と唱えるのは、月を見る趣が変わっているからです」と書かれたことに由来しています。 歴史ある当山に是非一度お立ち寄りください。


正門の右側には「月見寺」の石碑が確認できます。この石碑は「大菩薩峠」の作者である 中里介山の真筆を彫刻した石碑です。山梨県では真筆の石碑はこちらと大菩薩峠の頂上にしか残っておりません。


このお地蔵様は江戸時代筆頭の鋳物師である
西村和泉守の作品です。 西村和泉守は、東京浅草の浅草寺本堂横の宝筐印塔・千葉県成田山新勝寺の大日如来なども手がけております。 1758年(宝暦八年)製作 江戸時代を代表する由緒正しい名工によるお地蔵様を是非ご覧下さい。


武田家重臣 加藤丹後守景忠公 供養塔

保福寺は永禄元年(1588年)に大名菩提寺として創建、開基は上野原城主(現在の中央道沿い、オギノ上野原店付近遺構は消滅)加藤駿河守虎景公の子、加藤丹後守景忠公です。

父、虎景は宇佐美定行公、吉川元春公と共に「戦国三駿河」と称され、武田信玄公の旗本武者奉行で武田信玄の武術指南役をつとめた。景忠は剛勇の士であったといわれ、武田氏重臣小山田氏と共に甲斐、相模の国境である津久井口を安藤氏、富田氏、野崎氏、中島氏、上條氏、石井氏、市川氏の「上野原七騎」と称さる武士団を率い国境警備の最前線を担っていた。
その後、景忠は長篠にて討死しました。法名「真常院殿傑叟道英大居士」景忠が戦死した後、子の加藤信景公が継ぎますが、武田氏滅亡時に一族ともども武蔵国箱根ヶ崎(東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ヶ崎)で討死しました。

正門をくぐると、本堂が見えてまいります。

国道、駐車場から本堂へのご案内。

駐車場へは、国道20号から日大明誠高校の前を通過し、富士見ヶ池トンネルをでた左側となります。

大駐車場を通過します。お車の方は、こちらに駐車ください。

左手の鐘楼と右手に庫裏の間をお進みください。

通過すると右手に本堂がございます。



当山の庭園と池の起源は、古都京都文化財で世界遺産登録の天竜寺の庭園にあります。 天竜寺の庭園(曹源池)は特別名勝に指定されており、その優美さをモデルにして保福寺庭園はつくられました。 保福寺庭園は四季折々の景観を表現します。それゆえに季節ごとに訪れる価値を感じさせる庭園です。


上野原市指定文化財

■ 山門、鐘楼

保福寺の山門と鐘楼は、慶応元年(1865)に信州の工匠により再建されました。江戸末期の豪壮華麗な様式を示す寺院建築物で、組物や妻飾及び装飾的彫刻は意匠的・技術的に優れています。また、旧甲州街道の上野原宿や市場の経済的発展を象徴的に示す建物として、学術的・歴史的に貴重です。山門は唐門様式の四脚門(しきゃくもん)で、随所に施された彫刻や、組物・妻飾に江戸建築の豪華さがよく表現されています。鐘楼は市内では珍しい袴腰(はかまごし)形です。組物などの豪華な造りや、軒反(のきぞり)が強い伸びやかで整った姿が特徴です。

山梨県指定文化財

■ 雲版

本堂右手の庫裏には山梨県の指定文化財である雲版(うんぱん)がございます。雲版とは、 お寺の法事や食事時に打ち鳴らす仏具です。銅製で大きさ縦44cm、横40cm、厚さ0.7cm、撞座(つきざ)直径9cmです。 製作は、1373年(応安6年)の南北朝時代であり日本最古の部類にあたる非常に価値ある雲版です。